頑張って作ってるお弁当が残って帰ってくると悲しいですよね。
お弁当箱を洗うのはあまり好きじゃないけど、空っぽのお弁当箱は安心します。
でも、何か残っているとひとまずショック。
我が家も、お弁当が残って帰ってくる時がありました。
夫は「残す」ってことが嫌いなので、よほどのことがない限りいつも完食してきてくれますが、息子はそうではありませんでした。
理由を気にしながら、残飯として捨てる瞬間はむなしいものです。
毎日のように続くと、気になると同時に、イラっとして、お弁当を作るときに、そのイライラを思い出してしまうんですよね。
お弁当の悪循環のはじまりです。
残念な思いを引きずらずに、毎日リセットしながら作っていきたいものです。
お弁当が残される理由① 時間切れ
作る側は知らない「食べる人」の昼食環境。
誰と、どこで、どんな風に、どんなタイミングで食べているか、想像はできても実際に見ることがないのでわかりません。
食事中に用事ができることも仕事ならあるだろうし、食べる時間がなくなってしまう理由があったのかもしれません。
本当は食べたかった本人の気持ちを考えて、許してあげてください。
お弁当が残される理由② 人付き合い
お弁当持参だからと誘いを断れない場合もあります。
そんなのお弁当があるんだから断ってよ!、と作る側は思ってしまうけど、社会の中ではいろんな場面が訪れます。
息子がお弁当を持ってこれなかった友達連中と一緒に買い食いしてお弁当箱すら開けずに帰って来た時がありました。その場の雰囲気、なんとなく想像つきます。
学校の中でも、人との関わりでお弁当が邪魔をするときもあったりします。
頑張って社会生活を送ってるんだなぁと思って、許してあげてください。
お弁当が残される理由③ 気分
思春期あるあるです。
「なんで残したの?」「気分(‘ω’)」
そう言われたのが一番多かった理由でした。
気分ならどうしようもないです。
イラっとしても仕方ない。
そういう年頃なんだとあきらめましょう。
お弁当が残される理由④ お弁当
お弁当がそもそもの理由だった場合、作る側が工夫しないと改善しません。
残されたお弁当を改めて見直してみましょう。
変なにおいがした
お弁当では致命的。
中までしっかり火が通っているか、熱いまま詰めていないか、等々、お弁当を詰める際に注意が必要です。
どれだけ美味しそうなお弁当でも、おなかを壊すようなものであっては安心して食べることはできません。
一度嫌なニオイを感じると、お弁当を開ける瞬間それを気にするようになってしまいます。
お弁当箱を変えるなど、状況を一変してトラウマを取り除いてあげてください。
レンジ加熱を中途半端にしない、生野菜の入れ方など、安心して食べられる状態であることがお弁当の基本。
見た目よりも安全第一です。
安全にだけは気を配りながら作っていきましょう。
汁漏れ
汁漏れがあると、お弁当を汚く感じてしまいます。
わずかでも、染み出たお弁当の汁のにおいがカバンにもしみついてしまいます。
蓋を開けるときに汁が手につくのはもちろん、ごはんやおかずに汁がしみ込んでしまっていては、おいしく食べられる状態だとは言えません。
汁気のあるおかずを入れるときは、十分に汁気を切るか、別の蓋つき容器に入れるなど汁漏れしないように気をつけます。
お弁当を作るときは、煮汁を残さないなど、汁気の出ない調理を心がけます。
お弁当としてのおかず
出来立てをお皿に盛って食べるのと、お弁当に詰めたものを食べるのとでは食感も味も変わってしまいます。おいしいはずのおかずが、お弁当でもおいしいとは限りません。
例えば、
●動物性の脂は冷めると固まります。
出来立てはジューシーでも、冷めると白い塊になります。
脂を多く含む煮物なども白い脂でコーティングされたようになってしまいます。
●甘味は薄く、塩味は強く感じる。
冷めた時、味の感じ方に変化があります。
時間がたって冷めてから食べることを前提として考えると、注意しておいたほうがいいなぁということは他にもいろいろあります。
我が家の「食べる人」の要望からすると
●お肉の厚切りはパサパサするので薄切りにして
●葉っぱ野菜はしんなりすると気持ち悪いから絶対入れないで
●においの強いおかずはダメ
●ごはんとおかずは別にして
というところ。
あとは、好き嫌い、個々の好みの問題です。
お弁当の詰め方などに掲載されているレタスの仕切りや大葉の仕切り、確かに見栄えがいいのですが、お昼時お弁当を食べようと蓋を開けると、息子の言うようにしんなりしてて食べたい気持ちが失せてしまいます。
揚げ物の下にレタスがあるせいで、衣が水っぽくなってしまいます。
レタスは、お弁当以外で活用するので、我が家では仕切りを使うときは緑のバランと決めています。
「おいしそう」と「おいしい」は違う
実際に食べる人が言うのだから正しいのだと思います。
朝6時に作ったお弁当、食べるのは12時過ぎ。
約6時間、いろいろなおかずを詰め合わせて、蓋をぴっちり閉めたお弁当。
開けた時、作って写真を撮った状態のまま、とはいきません。
レタスの仕切りは最近のお弁当によく見る素材なのですが、6時間お弁当箱の中に置かれたもの、私も食べたいとはあまり思えません。
どんなお弁当になるかは、自分用に同じように作って時間をおいて開けて食べてみればすぐにわかります。レタスをお弁当箱に入れて6時間、なかなか不憫です。
「おいしい」にするために
心配事を解消できるお弁当箱もたくさんあります。
保冷剤を使ったりして、おいしい状態に保つ工夫もできるし、温かいまま、中にはご飯が炊けるようなお弁当箱もあったりします。
例えば生野菜。
我が家はお弁当に入れない選択をしていますが、入れるか入れないか、入れるならどんな選択や工夫をするかで、おいしい状態のお弁当が作れると思います。
といっても、我が家は男子弁当だったので、そもそも見た目はどうでもよくてご飯のおかずになるものさえ入っていればいい、というスタンスでした。
「レタスやトマトなんておかずにならないからいらーん!」
こんなもんです。
お弁当が残されたって気にしない
わずかであっても家庭の食品ロスです。
できることなら残ったお弁当を捨てるのだけはしたくないけど、毎日のことだから、いちいち腹を立ててもいられません。
「食」対する感謝とか、ありがたみは、いくら言ってもわからない部分があります。
それは今が戦時中でもなく、「当たり前」に食べ物があるからです。
でも、大人になって自分で生活をするようになれば気づく。
そうやってありがたみや、過ぎし日々のもったいなさに、気づいていくものでいいんじゃないかとも思います。
当時の息子にとっては「当たり前」のお弁当、「当たり前」でなくなった今はいろいろ感じることがあるはずです。
残されたものは、もったいないけど、それは日々のお弁当として思い出になっていきます。
手軽に写真を撮って、残していける時代です。
数年、何十年、お弁当を作った記録のすべてが思い出です。
日々のひとこまに気負いすることなく、またひとつ記録が増えることを楽しんでお弁当を作っていけたらいいなと思います。