とり団子鍋にするにあたって、
「とり団子鍋にどうしても入れたいものは?」
と主人と息子にアンケートしてみたところ・・・。
主人
「ちくわぶ」
・・・おでんじゃないのに?(^^;)
息子
「豚肉」
・・・とり団子鍋ってゆってるやん(^^;)
で、結局『とり団子の寄せ鍋』になりました。
今度高校で進路の懇談会があるので、食事の会話は懇談会。
息子の意思確認もかねて、家族会議です。
こんなに早くいろいろ決めていかなきゃいけないのはたいへんだなぁ・・・というのが私の個人的な感想です。かわいそうに思えてしまいます。
自分の時、こんなに早く将来のことなんて決められなかったし、その延長上に今があるという感じで、何を決めてどうなるかってのは、本当に本人の意志の問題。
本人の思いがあるなら、そのために何をすべきかというアドバイスはできるけど、本人の思い自体がまだまだ現実味がないのだから、それを決めさせることに意味などないような気がしてならない。
だって、それに出会うのは本人のタイミングであって、晩年になって本当のやりたいことに出会う人もいるし、幼少期から強い意志を持って歩む人もいると思うのです。
中には、やりたいことがないまま過ごす人もいる。
やりたいことがないことが不幸だとは限らないし、「将来の職業」こそが人生の良し悪しを決めるものでもないと思う。人やモノや何かとの出会いだったりも重要だから。
だけど、懇談はやってくる。
就職にするか進学にするか。
どこを目指すのか、何を目指すのか。
それを紙に書いて提出するというイベントが発生するのです。
道に迷っている人に、道を教えてあげるためには、目的地を知らなきゃ教えられないのと同じ。
学校もそうじゃないとアドバイスも何もあったものじゃない、ってのはわかります。
でもね、目的地はまだ見つかってない、というのもひとつの答え。
さて、10年後、息子はどんな道を歩いているのでしょうか?
不安もありますが、楽しみでもあります。